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落石の暮らし

輝かりし、おちいし

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1965(昭和40)年前後の落石駅には駅員がいて、駅前に漁協の事務所が、それに灯台守りのいた落石岬灯台に無線局と営林署、それぞれに多くの人が働いていた。町にはたくさんの商店や酒屋、食堂に居酒屋、旅館、民宿、理髪店まであって活気があり、北洋サケ・マスの漁期、港に船が溢れていた。山吹色に塗られた中型漁船には1隻あたり約20人が乗り組み、落石港だけで10隻以上、それだけで約200人の漁船員になる。すべてに人力が必要でサケ・マスの荷揚げ作業、昆布干しをする「岡周り」という人たちや、また定置網漁の食事をつくる「飯炊きさん」まで。石川、富山をはじめ青森、函館などから多くの人が仕事に来ていた。毎年、最盛期になると1000?1500人の人が落石にいたといわれる。当時、小・中学校に約300人位の子供がいた。運動会やお盆、お祭りも賑やかで、今でもいい想い出として残っている。

kurashi002.jpg(話し:浜辺洋一  1942(昭和17)年、落石生まれ。父は落石無線局に勤務していた)

以前、駅前に漁業協同組合の事務所があり当時の木造倉庫が残っている。現在の漁協敷地内にある石碑(表功碑)もそこにあった。保線区や国鉄官舎(駅員・保線区)もあり、酒屋、商店を兼ねた駅前旅館もあった。現在の駅舎は国鉄時代末期?JR北海道発足初期に改築されたもので、建物の半分以上が減築(事務室部分)されている。
ほかにも営林署の事務所・官舎があり、林業が営まれ製材所まであった。

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ドラマ北の国から

1981(昭和56)年に放送されたフジテレビの連続ドラマ『北の国から』は、東京から故郷の北海道富良野に戻り、その大自然の中で暮らす一家の姿を描いたもの。多くの人から共感を得て、日本のテレビドラマの代名詞的な存在。特番として続編がつくられ2002(平成14)年まで21年間にも続いた。
その特番ドラマの場面として、『北の国から'95秘密』『 北の国から'98時代』が根室市の落石地区(浜松・西落石)で撮影された。すでに残っているセットなどはほとんどないが、’95秘密で「蛍が勤務した診療所」として使われた民家が残っている。実際にまだ住民がいて、その古い洋風の木造建築に持ち主も愛着を持って維持して来たが、今年2011(平成23)年の夏に取り壊しの予定。


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『北の国から』の中で北海道の山間と対比するように描かれた海辺での生活の名場面の風景のひとつが、また消える。

根室で撮影された主な映画・ドラマ
撮影年題名制作
1961ノサップの銃(がん)日活
1977ウサギ飛ぶ海TBS
1978北の宿から松竹TV部
1978男たちの旅路NHKドラマ
1984男はつらいよ松竹
1986離婚しない女松竹
1992おろしや国酔夢譚東宝
1995北の国から’95秘密フジテレビ
1998北の国から’98時代フジテレビ
1999故郷東映
1999ゴジラ2000ミレニアム東宝
2002京都殺人案内25松竹TV部
2004ドラマスペシャル弟テレビ朝日
2005はぐれ刑事純情派東映
2009ハナミズキ東宝
2011.1.20(木)朝刊 北海道新聞・根室版より

おちいし界隈

休み番屋しおかぜ
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TEL0153-27-3939 1泊2食付5300円、素泊り3000円、部屋は全て2階。チェックイン●14:00から OPEN●2005(平成17)年


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地元根室を中心とした新鮮な海の幸の料理でおもてなす。以前、漁船に乗る乗組員が寝泊まり食事をしていた『番屋』を改装した宿。また敷地内には船舶の部品などを扱う『カネイシ船具店』もある。



コンブ漁に使うおもしろい形の道具→
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「海霧が出ると寒いけど、その自然が落石の豊かな海をつくり、漁を豊かなものにしていると聞くので憎めないわ。」と女将の石田フミ子さん。海霧の賜物はたくさんあって、例えば花のランの仲間のハクサンチドリ。地元ではカッコウが鳴く6月頃に咲き始めることからカッコウバナと呼ぶ人が多い。「ここでは野原で普通に咲く何でもない花なんだけど、観光客は驚き喜ぶわよ」聞けば本州では、1000mを超える山に咲く高山植物だという。落石のことを何も知らないで訪れた人には灯台山(落石岬のこと)に行くようにお勧めしている。必ず「何もないところだったけど、ポツんとある灯台や景色が最高」といわれるとそうだ。そのままの自然が残り、飾り過ぎない雰囲気がそう思わせるのかもしれない。ただ落石で40年、視界が1000m以下になると鳴ったその霧笛が2010年に廃止。暮しの中の風情がひとつなくなり寂しく感じるという。


カジカの宿
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TEL 0153-27-2668 1泊2食付5500円、素泊まり3700円から 個室(2名様から)1人1泊2食付6000円全4室15名チェックイン●15:30 OPEN●1993(平成5)年から落石にて落石港が見渡せる高台にあり、地元根室をはじめとする季節の魚介を使った料理。


九州・福岡県出身で、20年以上前の若い頃に訪れた北海道に憧れ、サロマ湖の宿でバイトしながら2年ほど暮らす。自分の宿を持ちたいと市内納沙布岬の近くで『カジカの宿』を開業。バイトしていた時、主人からつけられたアダ名が魚の「カジカ」で、その時の仲間が「カジカがやっている宿」と紹介してくれることもあり、そのまま名前に。 17年ほど前に落石漁港が見渡せるこの高台が気に入り移転した。地元の漁師さんたちも気のイイ人たちばかりで、落石をはじめ水産の町、根室の豊富な海の身の幸は、宿に泊まるお客さんを満足させてくれる。広がる風景や自然も魅力的で、有名なサカイツツジやエトピリカだけではなく、三里浜の夕陽、荒涼とした原野を走る花咲線、見どころがたくさんあるという。旅のスタイルも時代とともに変化しているが、カジカの宿の主人、荻島定巳さんは訪れるいろいろなお客さんに、のんびりと過ごし、そしていい旅をして欲しいと想っている。




朝日食堂
kurashi009.jpgTEL0153-27-2525 営業●のれんが出ている時 OPEN●1965(昭和40)年頃から メニュー●ラーメン・炒め御飯など

シマエビ入りラーメン650円



根室では珍しい苗字の惣万(そうまん)照子さんが切り盛りするお店。ご主人は新潟の出身。ここ落石には北陸の出の方が多いことから越中衆(えっちゅうしゅう)と呼ばれていたそうだ。カウンター中心の小さな店だが、地元、落石のネコアシ昆布で出汁をとったラーメンがここの売りだ。根室は風の強いところで、市内のオホーツク側は北からの風が吹くとひどく、落石は南東の風が吹くと海は時化模様になる。これは長年の経験の賜物。




太陽食堂
kurashi010.jpgTEL0153-27-2061 営業●のれんが出ている時 OPEN●1965(昭和40)年以前から メニュー●ラーメン・チャーハン(各600円)がおすすめ。カレーライス・豚丼・玉子丼(各600円)、おでん各種1本70円。


開店当初は岸壁のすぐ横にあり、祖母フミさんが店を切り盛り。落石で見るお日様がキレイだったので、店の名は「太陽」とした。港に出入りするたくさんの漁師さんが、作業の合間に食べに来ていたそうで、今でも昔ながら味を変えずに営業。またご主人の窪田次也さんは、『太陽潜水』という潜水業をしていて、地元を中心に急な船舶のトラブルなどに対応している。


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新濱商店
kurashi012.jpgTEL0153-27-2052 営業●7:00から19:30 定休●日曜 OPEN●1938(昭和13)年


まだ落石に港(昭和27年起工)ができる前、砂浜が続き冬に打ち寄せる流氷が、美しい自然の風景を見せていたこの頃、日用品だけでなくお焼きや駄菓子などを量り売りする商店として開店した。店はご主人の新濱悟さんと切り盛り。30から40年前は「店にリュックを預けて岬まで歩いていたのんびりとした時代もあった」と奥さんの新濱百合子さん。今でも、朝陽と夕陽だけは当時と同じ美しさを見せてくれている。




井上商店
kurashi013.jpgTEL0153-27-2020 営業●9:00から18:00 定休●不定休 OPEN●1972(昭和47)年


「北洋サケ・マスが全盛期だった頃、港は漁船と船員で溢れていてね。商店も15から16軒、食堂・居酒屋・スナックと、活気のあるにぎやかな町だったのよ」とご主人の井上薫さんと奥さんの裕子さん。今でも地域の店というのは変わらないが、この頃は海で何日も操業する漁船への仕込み店として、5人で切り盛りしていたほど忙しかったという。




ミキ美容室
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TEL0153-27-2475 営業●8:00から5:00 定休●日曜 OPEN●1980(昭和55)年頃より


地元のおなじみさんが仕事の合間に来店する。営業開始が早いのも漁師町ならではのことと、島田みきさん。




ENEOS 根室石油(株)落石給油所
kurashi015.jpgTEL0153-27-2230 営業●8:00?18:00・祝日17:00まで 定休●日曜


ここに勤務する橋孝博さんはスタンドでの給油のほか、船に重油を給油する港町ならではの仕事をしている。ここ落石出身で子供の頃は旧無線局が仲間と遊ぶ時の秘密基地だった。「何もないところだけど花や動物、自然は豊かですよ。」と笑顔で迎えてくれる。地元の人は、釣りや外浜でサーフィンしたりと、それぞれの楽しみ方があるという。
※橋さんのほかに浜松地区出身の中島順哉さんも勤務。スタンド給油担当。




落石自工株式会社
kurashi016.jpgTEL0153-27-2063 営業●9:00から20:00 定休●日曜・第2土曜 OPEN●1969(昭和44)年


ちょうど車が増え始めた昭和40年代始め、親戚に誘われ、隣町浜中から自動車整備工場のない落石に店を構えた。漁師さんがその日の仕事を終える午後に修理を頼まれることが多いので、作業も夜8時ころまで続くことも。地元のトラックのほとんどを整備しているほか、曲がったイカリの修繕など鉄工所の役割も果たす。地元の漁業とは切っても切れない関係だ。それに観光で来た車のパンクや故障の修理も頼まれることがあると、会長の上野陽三さんはいう。




落石郵便局
kurashi017.jpgTEL0153-27-2252 窓口●9:00から17:00 ATM●平日8:45から18:00、土曜9:00から12:30


1880(明治13年)年開局。駅逓としてからの長い歴史があり、現在の局舎は5代目。
明治初期(当時は民家が3、4軒)に駅逓として開局した北海道でも歴史のある郵便局。局長の廣田博さんも歴史、懐かしいものが好きで個人的に収集している。それらを局にあるコミュニティスペースで展示をしたり、手持ちの古いカメラで地元の小学生に写真を撮影してもらい、コンテストをしたりと活動。地域に根差した郵便局である。
荒涼として何もないようなところだけど、高台から見下ろす港の景色がよく、朝陽・夕陽・虹・海霧と自然現象を美しくさせる景観。とくに霧の切れ間に見える風景が幻想的で、それは日々の勤務に変化をつけてくれる。


kurashi018.jpgオリジナル消印は、50円以上の切手を購入すると押せる。北海道のふるさと切手や、各郵便局オリジナルポスト型はがき(180円)とともに記念になる。




慕喜俚囲荘 きがる
旧落石郵便局舎に29畳の畳を敷き、地域住民が使える集会所としている。「ボッキリ磯」という古い地名と「気軽」に集まれるということから名づけられていて、普段はカラオケを楽しんだりお酒を飲んだり、地域の人が集う場所になっているそうだ。落石計画というアートの活動や中国の清華大学の研修旅行などの活動に使われたこともあり。

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落石駐在所
kurashi020.jpgTEL0153-27-2151


「落石は今まで勤務した他のどの場所より自然が濃い」と笹川淳巡査部長。やはりサカイツツジや花のシーズンは観光客が多くなる。岬までの道程が複雑なせいか、道を聞かれる方が多いという。今でもドラマ『北の国から』のロケ地と知って訪れる方も。これには驚き。夜のパトロールの時、偶然見かけたサンマ漁船のたくさんの灯りはキレイで今でも印象に残っているという。




株式会社 兼由
kurashi021.jpgTEL0153-27-2231 創業●1915年(大正初期)前後 水産物の加工および販売

新鮮なサンマを産地根室で加工。
食べやすい一口サイズで美味しく
持ち運びが楽で、お土産に最適。



大正初期に漁業経営から始まり、昭和にはサケ・マス、サンマを主とした漁業会社として成長。平成に入ると水産加工品の製造業として事業展開させている地元落石の企業。豊富な海の幸を新鋭の製造ラインで加工、商品管理を徹底し、全国へ届けている。
http://www.kaneyoshi.jp




エトピリ館
kurashi022.jpgTEL&FAX 0153-27-2772 営業●9:00?17:00(年末年始をのぞく) 落石ネイチャークルーズの受付、待合い所。霧娘商品の製造・販売。→http://www.ochiishi-cruising.com/
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http://www.ochiishi.or.jp/shop/product.php?c=kirikko


2007(平成19)年に地元、落石・浜松・昆布盛漁業者の妻たちで結成。エトピリ館を本拠地に味自慢・腕自慢の6人が、地元の新鮮な海の幸を使った商品の製造販売をしている。また北海道有数のタコの水揚げ港で、メンバーのほとんどが家業でタコ漁を営んでいるため、ミズダコ・ヤナギダコの商品化、販売促進に力を注いでいると代表の小谷鈴子さん。




落石漁業協同組合
kurashi024.jpgTEL 0153-27-2121
1910(明治43)年 石盛漁業組合として創立
1949(昭和24)年8月23日 法令のもと落石漁業協同組合設立


落石・浜松・昆布盛と3つの港を中心に、豊富な海に恵まれサケ・マス・サンマ・タラ・タコ・カニ・コンブなどを生産する。人々が集い暮らす町があるのも、古くから漁業が営まれていたからである。現在、将来における豊かで活気ある漁村を目指し、水産業を核とした地域振興や観光に注目し各事業を展開させている。
→詳しくはhttp://www.ochiishi.or.jp/